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以前切迫早産を乗りきるという記事を書いたのですが、今回は私が辿った切迫早産の経過をお話ししますね。
この記事を作ろうと思った動機は、入院して不安な時に一番参考になったのが「切迫早産で頑張っているママのブログ」だったからです。
「この人は私と似たような症状だったんだな」「じゃあ私も大丈夫かな?」「私も退院できるかな?」と思いました。
妊娠経過も切迫早産・切迫流産の経過も千差万別ですから、誰かが大丈夫だったから自分も大丈夫と言う保証も確信もありません。
けれど、それが希望にはなるんですよね。
「私も大丈夫かもしれない」その可能性が、つらい入院生活を勇気づけてくれました。
コンテンツ
切迫早産の予兆
私は切迫流産・早産を二人目の子で経験していたので、今回の妊娠ももしかしたら入院ということを考えていました。
二人目の子の切迫流産の時もすぐに異常に気が付きましたが、初産婦だったら難しかったなと思います。
病院を受診するのは「迷惑じゃないだろうか」と考えてしまう時は、取り敢えず電話で相談するのが良いです。
産婦人科は産後の一か月健診まで面倒をみてくれるところですし、赤ちゃんの安全に寄り添ってくれますから、おかしいなと思ったら先ず相談をしてみるといいです。
三人目の時に「おかしいな」と感じたのは、なんとなくお腹が張っているような気がしていたからです。
つわりが少しだけ軽くなって、外に出る機会も増えて来た頃で、動くと息苦しさを感じました。
これが初めての妊娠だと違いが分からなかったかもしれないのですが、まだお腹もそれほど大きくないのに歩くのが辛いのは変だと思いました。
お腹が小さいので「張り」は分かりにくいのですが、圧迫感や息苦しさを感じたりしました。
切迫流産や切迫早産を疑う時は、お腹の張りに注意してみて下さい。
下腹部にある子宮がギューッと固くなります。
23w5dの健診
病院の都合で健診が延び5週ぶりの健診でした。
お腹の子が女の子だと判明し、推定798gと順調でしたが、張りが気になるとお医者さんに伝えました。
丁度時期的にも一度経腟エコーをした方が良いとのことで、子宮頸管を測って貰いました。
子宮頸管34mmと短めだったので、確かウテメリンよりも効果の弱い張り止めズファジランを処方されました。
この時、主治医の先生はいなかったので、別の先生に診て貰っています。
子宮頸管が実際に短いので処方されていますが、あまり心配はされていない様子でした。
またヘモグロビン値が10.9と僅かに貧血検査にひっかかり鉄剤のフェロミアを処方されましたが、服用後に大量に嘔吐しました。
そのうえ同時期にブドウ糖負荷試験にもひっかかり、再検査をすることになりました。次回の検査にひかっかれば「妊娠糖尿病」として、産科以外の病院にもかからないといけないと言われていました。
「切迫早産」「貧血」「妊娠糖尿病」と色々なトラブルに見舞われとても不安な気持ちでした。
つわりも終わりきらない中で、鉄剤が体に合わず嘔吐してしまうことはとても辛かったのですが、幸いインクレミンシロップと言うシロップの鉄剤に変えて貰ったところ嘔吐は治まりました。貧血の鉄剤は副作用で吐いてしまう人が一定数いるようです。その時は病院に相談してみてくださいね。
嘔吐した時に、これは飲み続けられないと思いスマホで色々調べてみて、他にも薬があることを知り、翌日病院に電話相談してシロップを取りに行った次第です。
24週に悪化する
24w3dに張りがきついような気がして病院に電話をしました。
頓服として出されていた張り止めを6時間おきに飲むように指示されました。
そして24w5dは2度目のブドウ糖負荷試験でした。
3度の採血と尿検査を行いました。
看護師さんには関係ないと言われたのですが、寝不足で血糖値が上がると言う情報を見たことがあります。一度目の検査の時に殆ど眠れず病院へ行っているので、もしかしたら関係あったのかもしれません。血糖値の検査の時には、食事以外に睡眠不足にも気を付けてみて下さいね。
結果は後日問題ないとのことで「妊娠糖尿病」は免れました。
本来は妊娠糖尿病の再検査の場合、血液検査だけで健診はないのですが、張りが多いのでエコーで診て貰いました。
内子宮口が11mm開いていたのでウテメリンを1日4回飲むように指示されました。
丁度この時期に子どもの学校の役員活動がありました。
既につわりで寝込んで参加出来ておらず、出産時期も無理そうなので何とか参加せねばと無理をしてしまいました。
私は子ども達が小学生だったので「遊んであげる」と言う無理は必要ありませんでしたが、上の子どもがいる母親はどうしてもお腹の赤ちゃんの為だけにと言うわけにはいかないのがつらいところですよね。
切迫流産・切迫早産を無視する訳にもいきませんし、上の子達の生活を「今だけ」と割り切るのも難しいと思いました。
ただお医者さんから無理をしない程度の外出許可は貰っていました。
外出許可は出ていたので指示は守っていたのですが、ずっと座り続けているだけでもお腹は張って圧迫感を感じました。
毎日横になっていれば入院にはなっていなかったのかもしれません。
更に悪化し入院
26w5dの健診で子宮頸管が更に短くなっていた為、次回の健診で入院を検討すると言われました。
ウテメリンは1日4回から6回に増えました。服用の限界値です。
24時間のうち4時間置きに飲まなければいけないので、夜中もアラームをかけて飲みました。
3時→7時→11時→15時→19時→23時、これが4時間おきで飲みやすい時間でした。
この時、旅行用バッグにある程度荷物を詰めておきました。
27w0dの夕方、お腹の張りが多くて中々治まらないので、病院に電話したところすぐに来るように指示されました。
夫がもうすぐ帰る時間だったので、夫に車で連れて行って貰いました。
用意していた荷物を一応持ち、病院ではNSTで張りの計測をしました。
その晩は病院へ泊り、翌朝の診察次第で入院するかどうか決めるということでした。
この時からウテメリンの点滴を開始しています。量は1A25ml/hと余り多くはありません。
次の日、朝一番に診て貰ったところ子宮頸管は34mmだったのですが、前回に比べて短かったので入院となりました。
※自分の記録を見てもちょっとよく分からないのですが、23wで34mmと診断された後は46mmまで伸びているようなんですよね。
ただし内子宮口が開いている時から、内子宮口は開いたままで子宮口の内側が妊娠6か月で開いているので「切迫早産」なのです。
夜は張りが多めで点滴の量を少し増やしました。1A30ml/hです。
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長くつらい点滴生活
入院中でも基本お医者さんに診て貰えるのは週に一度でした。
毎日見ても急な変化が予想されないからだと思います。
入院したら退院したいと思うものなのですが、診察しないと退院OKとはならないので、退院出来るチャンスは少ないんですよね。
先生に診察して貰える日を心待ちにしていました。
実は妊娠してから「ムズムズ脚症候群」を患っていて、点滴が普段以上に耐え難く感じました。神経がやられるような感覚にも襲われます。
元々血管を意識するものが苦手で、採血や点滴は精神的にダメでした。一人目妊娠前までは、採血の度に脳貧血で倒れていました。
看護師さんは良い人ばかりでしたが、「点滴がダメ」と言うのは「我慢が足りない」とか「ワガママ」のような雰囲気があり尚更つらかったです。
点滴が嫌なのはみんな一緒だと思うのですが、生理的にダメなことって言うのは「同じ状態の人」じゃないと理解して貰えないんですよね。
血管が脆くなり易く、24時間ほどでルートを変えて貰っていたのですが、点滴を刺せるポイントも余りないようで、半月ほどの点滴が本当に苦しかったです。
腕に青あざが出来、痛いんですよね。
看護師さんにアドバイスして貰ったのですが、点滴をしている腕はなるべく動かさない方が血管が長持ちするそうです。実際その方が痛みも少なかったです。
入院中の経過
27w5dの健診では子宮頸管が5mmほど伸び、内子宮口も閉じてきたようで、経過は悪くありませんでした。
しかし気掛かりは、ずっと逆子だったことです。そろそろ治って欲しいとお医者さんに言われました。
逆子が治るように毎日赤ちゃんに念じながら過ごしていましたが、28w3dの健診では内子宮口が閉じ、子宮頸管も40mmと普通の妊婦さん並みになりました。
ただ、一度子宮口が開きかけているので全く油断出来ないのが切迫早産です。逆子が治っていたことが心底嬉しかったことを覚えています。赤ちゃんと心が通じているような、そんな気がしました。
経過が良かったので29w0dから点滴を外し、張り止め薬を内服に切り替えました。点滴を外した時の「張り返し」がとても怖かったです。せっかく内服に切り替わっても、内服で張りが抑えられなければ点滴に逆戻り、点滴に戻れば当然退院は遠のきます。
私の主治医は慎重な先生だったので、点滴を半日ずつ外すと言う方法で徐々に内服に切り替えていきました。
3日間くらいは張り返しのような張りを感じましたが、そのくらいで張りが落ち着いて来ました。
切迫で入院しても退院の可能性はあります
29w4d、この日は私の誕生日で夫が休みを取っていたので病院へきてくれました。
子宮頸管がわずかに縮み39.1mmでしたが、わずかだったので退院許可がおりました。二人目の時も1か月で退院許可は出ています。
入院中はずっと週に1度のシャワーしか許可されませんでしたが、退院時には週に2回の許可も貰いました。入浴制限も切迫中のつらい試練ですよね。
外出や料理が無理な為、宅配ピザで誕生日祝いをしましたが、病院食が苦手だったので涙が出そうなほど嬉しい退院日でした。
子ども達と久し振りに一緒に過ごせたことにも癒されました。
病院にいる時は看護師さんたちがいますから、安静を破ることも早々しないでしょうが、自分で管理しなければいけない自宅では安静を守らない人も多いそうです。再度入院になる人が少なくいのはこの為だそうです。家事や育児をしたくなりますよね?
でもここはグッと堪えて、入院中と同様に家のことは家族に任せましょう。何も出来ないわけではありません。家にいれば例えば好きなだけ本を読んだりする自由もありますし、就寝時間に周囲に気を遣う必要もありません。何より毎日家族のそばにいることが出来ます。決して無理をしてはいけません。
退院後の経過
退院後最初の健診31w5dには、子宮頸管が37.1mmで自宅安静を継続するよう指示されました。前回が39.1mmですから少し短くなっています。
胎動が強く、赤ちゃん自身はとても元気なようでした。
33w5dの健診では、内子宮口が閉じていて子宮頸管も40mmあったので、シャワーを週3回の許可を貰いました。
家でも洗面とシャワー食事、トイレ以外は横になっているよう指示されていましたが、この時から座っている姿勢はよいことになりました。
34w2dには病院のマタニティ教室へも夫婦で参加出来ました。自家用車で移動です。
35w5dこの日が切迫早産中最後の健診となりました。37wに入れば切迫早産ではなくなりますからね。
内子宮口は閉じていたものの、私もちょっと油断して簡単な料理を手伝ったりしていたので、子宮頸管が34.9mmに縮んでいた為、薬は37wになるまで継続するように指示されました。
切迫早産を乗り越えて
以上で私の切迫早産記録はおしまいです。
この後、中には薬を止めたり点滴を止めた途端出産になる人もいるそうです。
しかし第三子、第二子ともにぎりぎりまで切迫早産でしたが、私の場合出産は特に早まりませんでした。
38週と39週で生まれています。
第三子はその後肋間神経痛や恥骨通にも悩まされたので、早く産みたくて仕方がなく産むまでつらい生活は続きました。産んでも体調不良がきつかったですね。
ただ生まれた赤ちゃんは言葉にならないほど可愛く、生まれた時から今も毎日穏やかな寝顔を眺められることがとても幸せです。
この為につらい安静生活に耐えたんですよね。
途中で運良く退院が出来なくても、妊娠中の入院には必ず終わりがあります。
また、私が入院中に調べた情報では「子宮頸管は伸びない」と言う説もあったのですが、先生と一緒にエコーを見る限り伸びていましたね。伸びてもすぐ縮みやすい状態と言うことかもしれませんね。
入院費用ですが元々分娩費用がリーズナブルな病院だったので、入院費用の自己負担は1日5,000円ほどで、月の後半から入院したものの高額療養費と普通の医療保険(AFLACのEVER)日額5千円で大体まかなえました。
月ごとの精算で月初にクレジットカード一括払いで支払いました。
高額療養費は1日から31日で一か月毎に区切って計算されるので、私の場合は長く入院したら逆にお釣りが出たかもしれません。
これをご覧になるのは現在切迫流産や切迫早産のママが多いのではないでしょうか?
もしパパが見て下さっていたら、自分のお腹の赤ちゃんが早産や流産してしまう不安と毎日闘っているママを支えてあげて下さい。
家庭を取り仕切っている主婦がいない時、家族みんなが大変な思いをしていると思います。しかし妊婦さんは赤ちゃんを守ると言う一番大事な仕事をしています。
プレッシャーやストレスに押しつぶされそうなママを、家族が助けてくれることを願っています。こんな時の優しさは一生忘れられないものだと思います。今こそ家族の絆を強めるときではないでしょうか。
ベビー服もネットでセールしていますので、入院中安静中でもチェックする価値有りです。
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